The HIRO Says

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自分の十字架を下ろす時

鬱になって休職すること3回。
1年半前、この病を克服して、やっとの思いで復職しました。
その時から、自分が失ってきたものを埋めあわせするために、自分のやれることを、それこそ死に物狂いでこなしてきました。
その自身に課した十字架を、ようやく下ろす時が来たと思います。


これから書くことは、この1年半の自身の気持ちを整理するためのものです。
そしてこれは、終わりの話ではなく、新たな始まりの話です。

最初の半年:チームの一員になるため

復職してすぐは、チームプレーをできるかが疑わしいということで、一人プロジェクトを黙々とこなしました。
そこで私は、仮想化技術やクラウド、プロジェクト管理、また人との付き合い方というものをじっくりと学び、一つ一つ成果を出していきました。
その結果、複数人のプロジェクトチームに所属してもよいだろうという会社からの了承を得ることができました。
初めの半年は、複数人のプロジェクトチームに所属することを認めてもらうための戦いでした。
そして、私はこの戦いに勝ちました。

次の半年:いつの間にかチームの柱に

ようやく複数人のプロジェクトチームに配属されることになりましたが、そこにはまた別の新たな戦いがありました。
そこには、段取りの概念と IT の基本を知らない PM と、プログラミングスキルのない「上流」設計者という、2人のお荷物がいました。
この2人のお荷物のため、システムの設計は破綻、スケジュールも見えないという状況で、プロジェクトは文字通り火を吹いていました。
私はプロジェクト管理・設計・実装・テスト・運用設計・保守・インフラ構築といった知識・経験を持っているため、これらをフル稼働させて、プロジェクトの火を1つ1つ消していきました。
これは誇張でも何でもなく、本当にプロジェクトの火の手を一手に引き受けて消していきました。


プロジェクトの進捗状況をホワイトボードや WBS見える化し、設計書の穴を全て実装でカバーし、運用面の問題に先手を打って対応し…
本当に何でもやりました。
その結果として、プロジェクトはきちんと軌道に乗ることができました。
気がついたら、私がプロジェクトを回している状況になっていました。

最後の半年:燃え尽きる前に

その後も私が実質プロジェクトを回している状況が続きましたが、残念ながらこの方法にも限界がきました。
私の役割はあくまで非公式なもので、必要な権限は一切ありませんでした。
決定権は、OS の権限というものすら知らない知識レベルの PM が持ち続けていました。
この PM と「上流」設計者の2人に、特に今年に入ってからふりまわっされぱなしとなりました。


まず、決まるものも決まらない。
重要な設計について、彼らが何のアイデアも持たず、また理解する能力も持たないため、1つのことを決めるのにも1週間もかかる始末。
また、最低限の段取りすら決めずに勝手にユーザとスケジュールを決めてしまうため、あらゆる作業が後手に回る始末。
今では、自身の一日の業務の8割が、このお荷物2人の後始末に取られるという状況です。


正直、馬鹿のおもりをするために、苦労して病気を克服したのではありません。
今の仕事を続けるのは、とてもではないですが嫌です。
ただ一方で、やっとの思いで参加したプロジェクトなので、絶対に途中で放り出したりはしたくない!という強い気持ちもありました。
一方を立てればもう一方が立たないという、袋小路に陥ってしまっている自分に気がつきました。
出口がない状況に、自身の心が壊れそうになっていましたが、必死に踏みとどまっていました。


こうして、悶々とした日々を送っていましたが、ようやくこの状況から手を引いてもよさそうになりました。
まず、3月に入り、システムの納入が完了しました。
また、残タスクも、今いるメンバーで十分こなせるレベルとなり、私が必死に頑張らなくても良い状況になりました。


もう、自身に課した十字架を下ろしてもよいと思っています。
やれることはやりきりました。

NEXT

今度は、火消しではなく、自身のクリエイティビティを活かせる仕事をしたいと思っています。
せっかく GAE や Hadoop の知識を増やしている状況なので、これらを活かした仕事をしたいです。
もう、足手まといでしかない上流エンジニアの相手は結構です。
余計なものに束縛されずに、自分のやりたいことに集中したいです。