The HIRO Says

If you smell what The HIRO is cooking!!!

不惑にして堂々と惑う

実はコイツと同い年らしい。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%80%A58500%E7%B3%BB%E9%9B%BB%E8%BB%8A#/media/File:Tokyu-8500-2.jpg


Facebookで多くのお祝いメッセージをいただき、本当にありがとうございます。
多くの怪我と病気、公私での挫折を味わい続け、正直40歳を迎えられるとは思っていませんでした。そのため、この日を迎えられたことについては、正直嬉しいというよりも「?」という気持ちの方が強いです。
今でも、脳血栓の影響でカラダに動かせない部分があったり、右足首の骨が砕けていたり、喘息を新たに煩ったりと、正直満身創痍です。ですが、せっかく生きているので、行けるところまで行ってみようと思っています。どうせ一回きりの人生ですし。

さて、40歳になってみて改めて感じていることを、雑感としてまとめてみます。

「惑い」の質が変わった

30代前半頃と比較しても、不安や知らないことで戸惑うことは非常に減りました。その一方で、知識の増加や人間の機微が分かったが為に、惑うポイントが変わった印象です。例えば、この後輩に対しては、性格や目標設定の方向性から、このようなアドバイスをした方がよりプラスになるかな?ダメだったら次にどのような手を打っておこう?といった具合です。
惑うこと自体はなくならないけれども、惑うものは変わりましたね。

不惑でもプログラミングは出来るが、そういうことが問題ではない

  • メインフレーム時代の、Designer と Coder(設計書通りにプログラムを打ち込む人)が分かれていた時代は、とうの昔に過ぎ去りました。
  • 私の場合は SI ではないため、年齢による単価とそれによる仕事内容を気にする必要がないです。
    • むしろ、自身にあったプロフェッショナリズムを出すことを常に求められる状況にあります。
  • テスト自動化・Infrastructure as Code・リリース自動化・ALM(Application Lifecycle Management)など、そもそもエンジニアとしてやらなければならないことが増えすぎて、35歳程度で定年とか言っていたら仕事が回らないです。


結論としては、「プログラマ35歳定年説」は衰退しました。また、職種としての「プログラマ」という表現も今ではズレがあって、「エンジニア」の方が妥当なのかもと思っています。今の時代は、激しい進化をハンドルしかつリードできる「エンジニア」が、年齢に関係なく必要なのだと理解しています。
また、仕事と年齢を関連付ける考え方自体がいいかげん古いんじゃないですかね。

目標となる人・ものが増えた

仕事やSNSなどで付き合える人が劇的に増えたことで、目標に出来る人が増えました(例えば、自分が読んでいる本の著者と知り合いになることも、以前と比較したら遥かに容易になりましたし)。また、多くの情報に接することができることで、自分の学習の質・速度を以前よりも遥かに増やすことができました。CSP(認定スクラムプロフェッショナル)を取得する気になったのも、この資格を持っている人たちと交流を持てたことが大きかったです。

モチベーション的にも、目標に出来る人・モノが多くあることは、生きることを豊かにしてくれます。一方でやりたいことが増えすぎて無理をするリスクも増えますが、そこは自己責任でとしか良いようなないですね。特に自分。


ところで、他の人のまねをしてウィッシュリストを作ってみたのですが…これで良いのかな?
(欲しい本は大概電子書籍で購入済なので、改めてリストアップすると書籍がほとんどないことに驚き)
http://www.amazon.co.jp/registry/wishlist/W7K5P8MUMAOD


若干カラダを壊しているので、当面の目標は「生きる!」にします。