The HIRO Says

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誤った成果主義は企業を滅ぼす

ここ数年、多くの国内企業で、人事評価方法に成果主義が導入されています。
簡単に言うと、どういう成果を残したか、どれだけの利益を上げたか、そうした結果を定量的に見て人事評価をするというものです。


これは、利益よりも年功序列や情実主義に重きを置いたために、90年代からの失速を招いた日本企業の反省に基づくものと考えています。
故に、実際に利益を上げる成果を上げた人財を評価・登用することことが、この制度の本来あるべき主眼だと思っています。


しかし、実際の運用を見ていると、却って「成果をあげている」人間を「利益」の名で過小評価する制度になり下がっているのではないか?と疑問を感じています。
具体的には、次のような問題を感じています。

(1)「結果重視」の名で過程を無視・軽視する

結果「だけ」を見て、そこに至る過程をほとんど・全く評価しないケースです。
販売など、明確に利益を計上できるプロジェクトならば、この方法もそれなりの意味があるとは思いますが、世の中全ての事象が定量化できる仕事ばかりで構成されてはいません。
例えば ICT 業界では、フレームワークの選定・構築や研究開発などの仕事が、定量化に必ずしもふさわしくないものと言えるでしょう。
また、無茶苦茶なリソース・スコープ・スケジュールのプロジェクトで火消し役を買って出て、見事に鎮火するようなケースは、結果もそうですが、それ以上に結果に至る過程を評価するのが正当ではないでしょうか?
成果主義は、成果の過程を無視することではありません。
成果の過程もきちんと見るべきだと思います。

(2)「結果」を年長者「のみ」の成果と看做す

年功序列と「過程を無視した成果主義」が、悪い方向に融合したものです。
紆余曲折を経て成果にたどり着いても、その成果が必ずしも実務を担当した人のものではなく、トップ、リーダー、或いはチームに長期間いる人のものとして評価されてしまうというものです。
ここで問題なのは、年長者がきちんと仕事をしていないケースです。
いくらメンバーが頑張って仕事をしても、頑張っていない年長者だけの評価になってしまい、自分たちの評価につながらないのであれば、メンバーは頑張る気力をなくし、チーム・企業を去っていくでしょう。
そしてそのチーム・企業は、利益を失っていくでしょう。
成果主義は、年長者の成果だけを見ることではありません。
本当に成果に貢献した人を見ることです。


表面的な結果だけで評価せずに、過程も含めてきちんと評価しなければ、有用な人財は逃げて行ってしまいます。
企業は詰まるところ人です。
有用な人財を確保できる評価制度を持つ企業ことが、最終的に生き残り続けられると思っています。